昭和30年代 子供の遊び
テレビなしの時代 何して遊ぶ

私のこどものころというと、1960年前後のことになります。家にテレビがきたのがいつかはあまりはっきりとは覚えていませんが、この1960年ごろかな、と思っています。少なくとも小学校の下級生のころには無かったと思います。

私はどちらかと言えばガキ大将のほうで、近所の家の子を誘い出して、毎日のように外で遊んでいました。テレビ以前の時代、何をしていたのか少し思い出してみます。

近所のゲンジ山〜隠れ家〜紡績工場

車もほとんど走っていない時代です。外で自由気ままに遊んでいました。外で遊ぶことに対し親はほとんど何も心配していません。外には危険がない、そういう時代です。

近所のゲンジ山へよく昆虫を取りにいきました。ゲンジ山といっても名のある源氏山ではなく、ゲンジとはクワガタとかカブトムシなどの昆虫を指しており、昆虫がいる所という認識でした。
どこどこのゲンジ山とか呼んでいましたが、「小さな森」という感じのところです。
実際に採取できたゲンジは、クワガタのオスはなかなかいないですが、メスはよく捕まえていまして、マンジュウとか呼んでいた気がします。カブトムシも普通によくいましたね。これもやっぱりツノの無いメスのほうが多かったです。

ゲンジ山の近くには、低い木が生い茂った小高い丘があり、そこでは枝の切れ端などで、かまくらのようにドーム状の空間を作って、隠れ家だーとか、隠れ家に行くぞーとか、騒いでいました。

そんな小高い丘もゲンジ山もいつのまにか削り取られ平坦になり、道路が通っていたりする。その時はちょっとショックでした。東京オリンピックの前後は東京だけではなく遥か離れた田舎でも、景色が大きく変わっていった時代です。

近所の大きな紡績工場の塀の内側には塀に沿って木が植えられていた。その塀は自分の背より高く中には入れないが、その木にはセミが群がっている。長い竹竿の先端に粘着のものを塗り付けてセミを捕まえていました。セミの羽がネバネバしているのが残念でしたが・・・。そこで見たカマキリが共食いしていた情景。びっくりしたことを覚えています。

川遊び どじょう〜かえる〜ホタル

変わらない景色は川ですかね。川は今でもあります。四つ手網で魚(主にフナ)を採ったり、ミミズで魚(なまず?)を釣ったりしていた。ヒルに食われて足はよく腫れていました。
手を川底に突っ込んだりして飛び出してきたどじょうをタモで捕まえて、近所の魚屋へ売りに行ったこともありました。魚屋も子供相手だから買ってくれたのでしょう。何か時代を感じます。

かえるの足で何か釣ったりしていたような記憶もあります。
かえるの足のこのことは今考えると気持ち悪いことです。でも、普通によくやっていたものです。いまなら絶対できません。
かえるを捕まえ、地面に叩きつけて、足を引っ張り抜き皮を剥く。ゾッとします。でもやっていました。ザリガニのえさだったかな?記憶があいまいです。

ちょっと離れたほんの少し大きな川に父と一緒に自転車で出かけた記憶もあります。泳いでいたり、魚釣りであったり、ホタル狩りであったり、ホタルが普通にいました。今はいません。
そういえば父は釣りが好きだった。あゆ解禁されたら、飛騨川へよく釣りに行ってました。どうやって行っていたのだろう、車もないのに。国鉄の高山線があるか。友人の車に便乗して釣りに行ったのはもっと後になってからかも知れません。

2B弾〜竹とんぼ〜しょうや

2B弾って知っていますか。火薬が入った直径5㎜で長さ5㎝ぐらいの筒です。マッチ棒のように擦り発火させます。バ~ンといって飛び散ります。危険ですね。でもこれが普通にこどものおもちゃ?として雑貨屋で売っていました。ネズミ花火も危険ですが、これはもっと危険ですね。よく知らないので、今調べたら、昭和41年に製造中止になったようですが、ネットでは買えるみたいです。いいんですかね?
肥料を溜めた槽(肥溜め)の中で、肥料の表面が固まっていて、そこにこの2B弾を仕掛けます。仕掛けて少し離れたところに逃げるのですが、その逃げた目の前に、2B弾が爆発して肥が飛んできました。もう少しで頭にかかるところでした。あぶないあぶない。

のこぎりを持って竹藪に入ります。竹を切って持ち帰ります。窃盗罪ですね。こんなことを平気でやっていました。竹を使って色々なものを作った気がしますが、今でも覚えているのは竹とんぼと紙鉄砲の2つですね。竹とんぼはドラえもんを見てると、羽と棒が一体のものが普通のようですね。でも私は別体だった記憶があります。羽だけ飛ばすのです。でもそれだと、バランス悪そうですね。違うのかな、記憶があいまいです。うまく飛ばすために、羽の形(断面形状)を工夫して試行錯誤していた。これらの作り方は父が教えてくれたと思います。他に教えてくれそうな人は近くにいなかったので、確かだと思います。

「めんこ」のことですが、この辺りでは「しょうや」というカードです。名古屋弁のようです。
遊び方は、まず地面には自分と他人のカードが置いてあります。
他人のカードの近くに自分のカードを投げつけて、空気圧で地面のカードを裏返したら自分のものになるゲームです。
地面は舗装されていないので、カード叩きつけると砂埃がたちます。地面もでこぼこしているので、地面のカードを裏返し易いのでしょうね。

今回は山や川の夏の遊びが多かったような気がする。

家の中での遊びはトランプ、百人一首、花札、すごろく、人生ゲーム、野球盤、等々あるが、またの機会に思い出してみたい。

兎に角、夏は外で遊んでいた。外で遊んで遊んで疲れていたので、冷房もない、蚊帳で覆われ風もない(扇風機が無い時は母がうちわで煽ってくれていたが…)、そんな暑い状況でも、よく眠れていたのであろう。夜8時には寝ていた、と思う。
学校で遊んだ記憶は全くない、勉強した記憶もない、学校に行っていた記憶も薄い。学校はつまらなかった。しかし、放課後の遊び、勉強は意外と覚えている。不思議なものだ。


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